明治初期の横浜グランドホテルを皮切りに、その後は各地で次々と外国人専用ホテルやリゾートホテルなどが開業しました。明治6年、1873年に日光の金谷カッテージイン(のちの日光金谷ホテル)、明治11年、1878年に箱根冨士屋ホテル、明治16年、1883年に鹿鳴館(のちの華族会館)、明治23年、 1890年に帝国ホテルなどなどです。
レストランも、明治9年、1876年に富士見軒、明治15年、1882年に宝亭、明治32、33年、 1899年、1900年頃の中央亭、明治39年、1906年に東洋軒など多く開かれました。中でも東洋軒は、今日でも、東京千駄ヶ谷の「日本青年館」の中に、正当なフランス料理を引き継ぐレストランとして残っています。
当時のフランス料理は、今日では古典と言われているエスコフィエの技法はまだまだ日本には上陸しておらず、アントナン・カレームとユルバン・デュポワの流れを汲むものでありました。