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日本のフランス料理の歴史6 西洋料理の成熟期と秋山徳蔵

華族会館、ブラジル公使館、築地精養軒などを経て、大正元年、1912年に三田東洋軒本店の料理長となった「秋山徳蔵」は、やがて宮内省の主厨長に就任します。宮内省で天皇陛下主催の祝宴が行われる時には秋山がメニューを作り、その調理には、先の中央亭、宝亭、富士見軒、精養軒、東洋軒などから選ばれた料理長が当たりました。

当時の日本を代表するような料理長を相手にリーダーシップを取ることのできた秋山の、料理に対する知識と探求心は、のちに「仏蘭西料理全書」として大正 12年、1924年に出版されることになりました。1652ページにも及ぶ大著は、専門書として我が国の西洋料理界に大きく貢献しました。

秋山が活躍した大正初年から昭和初期にかけては、日本の西洋料理がようやく花開いてきた、いわば成熟の時でもありました。明治40年、1907年頃に直接フランスに渡って修業した人々(精養軒4代目調理長、西尾益吉、東洋軒の林玉三郎など)が持ち帰ったエスコフィエの仕事も、この時代になってようやく、新しい料理を積極的に取り入れようとする宮内省の料理人たちによって、日本の西洋料理の本流となりました。